ここしばらくは僕にとって本当に衝撃的な期間だった。
それは、父と母が、相次いで亡くなってしまったから。
母の場合はあまりにも突然で、ショックが大きかったのだけれど、
父の場合、およそ10年ほどわずらっていた肺気腫という病が原因だったためか、確かに悲しみもあるが、それよりも「お疲れ様、ようやく解放されたね」という労わりの思いもかなり強い。
昨年の11月。
まだ母も元気で、父の容態も悪いなりに安定していた頃、帰省をすることができた。
そのときふと思いつきで「父ちゃんの呼吸ってどれぐらい辛いのかな」と、父の呼吸に自分のそれを合わせてみたことがある。
肺気腫は、肺の中の肺胞が徐々につぶれていき、十分な酸素が体内に取り込めなくなる病なので、かなりの辛さは予想していたけれど・・・このとき初めて父の苦しみが理解できたような気がする。
なによりも一呼吸ごとに、体の中に異物がたまっていくような違和感。
十分に酸素が吸えないせいか、頭の中がクラクラするように感じた。
いかに人体にとって酸素が必要なものかを実感した。
そして父はそんな病と10年間も闘ってきたのだ。
実家から父の危篤の知らせを受けて、父の入院している病院に駆けつけてみると、父の意識はもうほとんどなかった。
それでもなお、父の体は生きようとしているのがわかった。
指に付けているセンサーで血中の酸素濃度がわかるようになっていて、話によると、その値が90を割ると救急に運び込まなければならないのだという
父の横についていて、その値が、ゆっくりと、確実におちて行くのがモニターを見ていてはっきりとわかった。
一晩をかけて80、70を切り翌日の昼ごろには50台にまで落ち込むようになっていった。
それでもなお、無意識に顎を激しく上下させて、少しでもたくさんの酸素を吸い込もうとしている父の姿が目の前にあった。
まだ意識があった頃にはその辛さに耐えかねて「死にたい」と漏らしたこともあったという。
その一方で、体は最後の最後まで「生きたい」と願い、力を振り絞って生きようとしていたのだ。
その純粋な姿に、僕は胸が熱くなった。
最後の最後まで、病と闘い抜いた父。
今までたくさんのことを教えてくれたよね。
そして最後の最後まで「生きる」ことの手本を見せてくれた。
父ちゃん、お疲れ様、ようやく楽になれたね。
長い間、見守ってくれてありがとう。
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